ROブログ 管理人:麦


by frozen_kuro

(・ω・)


今日はショックな事が多々あった。

特に夜には。






自分を見損ない、見失い、苛立ちばかりが募った。

話を根気強く聞いてくれた友人は、そう悲観するほどではないと言ってくれたようだ。

自分は言ってくれた言葉の意味の全てはわからない。

理解はしても、頼ってはいけない。

彼の生き様であり、だが全てだとは鵜呑みはしない。

きっと彼は自分を褒めてくれたようだ。

でも自分は人間であり、彼も人間だ。

心がある。

だから図々しいながらも、一つだけ頼みをしてみた。

が、全く正反対の言葉をいただいた。

嬉しい言葉には変わりないのだが、納得はできず。

彼も人間。

人の心は動かせず、寧ろ人が人の心と考えを動かすのは大それた事なのだな。

やはり、彼はどうしてか結局正反対の言葉をくれた。


ならば、それを楔にすれば良いのだろう。

驕ることなく、ただそれだけを。







自分を許せない、と昔はよく言ったものだ。

今にして思えば、実に下らない慢心した自己主張だったものだと思い知る。

許すか許さないかを決めたところで、他人にその戒めは実に一寸も見えるものでなし。

それを我が内にて秘めたろうものなれば、他人にはやはり見えず。

他人に言葉にとして言いふらしたところで、最中にやはり下らないと思い返さざるを得ない。

実に無駄な戒めなのだろう。

他人に「もう少し自分を許したらどうだ」といわれたのなら、

その時は自分の見ているものと他人とが大変な隔たりがある状態なのだろう。

その許しとは、自戒の念であり、自制というものであり。

何よりも、自制というものは何事も無く唯唯事実をのみ見たことなのだろう。

縛るとか許すとか、慢心するとか現実を見るとか気にしない、とか。

何にもせずに、ただ見るだけなのだろう。

ただただ見るためには、心と魂との共存が必要であり当然が如く、そして理なる。

均衡、平静、深度、温度。

ひたすらに見るだけの自分である、それが唯一つの願望であり続けたい。








手記にてこの御歳にこのような馬鹿げた内容を記すには、抵抗というものが在るものだ。

なのに何故記しそのままなのだろうか。

人とは、それだけに欲が深い存在らしい。

(単にこれを書いた醜い人間がとりわけ深いだけやもしれないが)

自制心が一に対し、欲というのは十にも百にも万にもなる。

難しいものである。

もし是を拝見された方々には、是非とも小生を鼻で笑っていただきたいものである。

そして、此の実に無駄な我の一片たる戯言を、始終見て頂き、御礼を申し上げたい。



つうかこんなの見てる暇あったら外でも行って遊んでろ(^Д^)9mプギャー
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by frozen_kuro | 2010-10-31 04:05 | 中の人の呟き